大ヒットした映画「小さな村の小さなダンサー」が、来月はじめにDVD・ブルーレイ化されます。
実在の中国人ダンサー、リーツンシンの自伝が原作となった作品です。
文革下の中国の寒村に生まれ育った主人公は、国家に見出され、バレエの英才教育を受けます。やがて米国に研修生として渡り、亡命して有名なバレエダンサーになるというストーリー。
米国と中国の対比や文革下の中国の事情を描いた「社会派」の映画でもありますが、この主役を演じているのは、ツァオチー。英国ロイヤルバーミンガムバレエ団のプリンシパルであり、本物のバレエシーンが楽しめるのも、この作品の魅力です。
そしてさらに、作品中のダンスシーンがグレアム・マーフィーの協力を得て作られたということも話題でした。「白鳥の湖」や「くるみ割り人形」の大胆なアレンジが凄烈です。
リーと同じく北京の舞踏学院を出ているツァオチーには、この役を演じるにあたり、特別な思いがあったと思います。メディアでは見つけられなかったインタビューですが、今度発売されるブルーレイには収録されているといい、ちょっと気になっています。
初演された年をきっちり覚えているのは、たぶんこの作品だけです。
ラシルフィード。
1832年3月12日。
マリータリオーニはロマンティックチュチュをまとい、つま先立ちで幻想的な世界を表現しました。多くの人がバレエと言って思い浮かべるイメージの始まりは、ここにあったと言われます。
初演の日と同じように記憶に刻まれているのが、新国立劇場で何年か前に上演されたときのコピーです。「あなたの彼が時々いなくなるのは、森に誘われているかもしれません」
少し違っているかもしれませんが、作品のストーリーも雰囲気もこめられたコピーでした。
結婚式のその日に落ち着かないジェームズ。彼に恋した妖精のシルフィードがジェームズの周りを跳ねまわって魅了しているからです。やがて花嫁を置いて森に行ってしまったジェームズは・・・。
悲劇的な結末は、ちょっと救いのなさを感じさせますが、魅惑的で美しいラシルフィード。今年は東京ほか何か所かで地方公演も予定されています。
12月の公演情報の中に、オペラ「ヘンゼルとグレーテル」を見つけました。
大好きなオペラです。
クリスマスの季節、バレエなら「くるみ割り人形」、音楽なら「第九」、そしてオペラなら「ヘンゼルとグレーテル」が定番です。
森へいちご摘みに行った兄妹のヘンゼルとグレーテルは道に迷い、眠りの精に眠らせられます。露の精のおかげで目を覚ますと、そこに「お菓子の国」が・・・。
子供ならだれでもあこがれる「お菓子の国」がこの作品のモチーフです。
音楽はフンパーディンク。最初に知らずに聞いたときはワーグナーかと思いました。
後でワーグナーの下で働いていたことがあり、道理で手法もトーンも重なるはずです。
もとはフンパーディンクが親族のために家庭劇にしたものを作曲し直したという作品。後に婚約者へのプレゼントになったといいます。作品全体にあふれる愛を感じるのはそのせいでしょうか。
バレエは右脳でみるからいい、と友人が言いました。
逆にいうと、左脳的に単純にストーリーを説明してもなかなか魅力が伝わらない場合もあります。その典型がこの「ドンキホーテ」ではないでしょうか。
老郷士が本を読んでいるうちに現実と妄想の区別がつかなくなって旅に出て・・とあらすじを説明してもなかなか理解を得られませんが、ひとめこの舞台を見れば軽やかな爽快感が味わえます。
バレエ作品では原作と違い、メーンは駆け落ちする若い二人に置かれているということもありますが、お供のサンチョのコミカルさといい、随所に登場するスペイン舞踊といい、「陽性」がこの作品の特徴です。
キトリのバリエーションには、優雅、洗練といったもの以外に、ダイナミックな、それでいて女性らしさを失わない強さを感じます。
作品の根底に流れている明るい強さは、キトリのキャラクターとも重なり、見る人を引き付けているように感じます。
シェイクスピアの原作を初めて読んだとき、子供心になんともやりきれない思いがしました。
永遠のラブストーリー、ロメオとジュリエット。
貫いた愛の先に死があった。これも運命であり、人間の面白さだと思えるにはずいぶん時間がかかったように思います。
バレエのロメオとジュリエットは、プロコフィエフが作曲した当初、死を踊りでは表現できないとの考えから、ハッピーエンドを想定していたと言われます。それを可能にしたのがマクミラン。恋心を確かめる第一幕と対象的に、第三幕では不吉な死の予兆がパドドゥで表現されます。
演劇的、という表現が適切かどうかわかりませんが、バレエのもつ可能性を見せつけるようなマクミラン版です。
さて、そのマクミラン版は、新国立劇場で6月末から7月にかけて見ることができます。
ジュリエット役は、10年前の新国立にも出演した酒井はな、本島美和ら4人。
芯の強い深層の令嬢のイメージのある小野絢子、華やかで「うまい」印象のあるリアン・ベンジャミンも楽しみです。
名作はあらゆる芸術的表現が試みられ、さまざまに解釈されて、さらに偉大な作品となる。
そう感じさせるロメオとジュリエットです。
フィールドバレエのことを知るまでは、バレエとは都市の産物であり、大がかりな舞台装置を備えた都会のホールでしかありえないと思い込んでいました。
毎年夏に東京のバレエ団、シャンブルウエストが八ヶ岳山麓で行っている清里フィールドバレエ。大自然の中の特設会場で行われるロングラン公演は、日本で類をみず、清里高原の風物詩となっています。
森の木立を背景に、幕が開くのは夜8時。
今年も「コッペリア」など3プログラムが予定されています。
このステージで見るならとりわけ「ジゼル」という声も多いようです。
幸福な結婚を前に不幸にして亡くなる体の弱いジゼル。
彼女は妖精となって墓を抜け出して姿を現し、夜の森の中で踊ります。
自然の中での公演なので、天候で中止になることもあれば、雨のあとの星空が顔を出すことも。そんな、大自然が舞台装置となる公演です。
そのシャンブルウエストは、13日から東北地方の被災地を回り、出張公演を始めました。
巨大自動音声オルガンを積み、各地でミニ公演を繰り広げるとのこと。
美と芸術が、被災地の方々の心を束の間、癒すことを願ってやみません。
思い切り笑いたいときは、これです。
トロカデロ・ザ・モンテカルロバレエ団。
新宿公演は設備の関係で中止となったようですが、今年も6、7月に関西や大宮などで日本ツアーが予定されています。
男性だけで構成される元祖コメディバレエ団。
何度も生き返る「瀕死の白鳥」や長身のバレリーナを必死で支える小柄なパートナーなど、配役やストーリーに笑いのエッセンスがふんだんにちりばめられています。
その寛容性、柔軟性は、やはり米国発と思わせられます。
もっとも、世界各地で高い評価を得ているのは、単なる女装にとどまらず、高い芸術性に裏付けられているから。
以前、初めて見た友人が、トロカデロの公演をきっかけにクラシックバレエに傾倒していったことがありました。
典型的なクラシックバレエの間口を広げているのは、何と言っても美しいからです。
「芸術か!冗談か!」というコピーも有名ですが、最高の芸術であり、コメディーです。
ゴールデンウイークの3、4日、松山バレエ団を率いる森下洋子が、37年ぶりに「白毛女」を演じます。
世界で最初にバレエ作品に仕上げ、1950年代から訪中公演を行うなど日中友好に力を注いできた同バレエ団の象徴的作品です。各メディアで森下洋子は、理 不尽な環境下で強く生き抜く主人公の喜児(シーアル)の生きざまを、東日本大震災の被災者への祈りに重ねて演じる決意を語っています。
1930年代の中国で、貧農の娘に生まれた喜児。美しく成長し、結婚が決まっていたにも関わらず、地主に連れ去られ、売り飛ばされそうに。かろうじて逃げ出した喜児は雪山に逃げ込み、苦難で髪を真っ白にしながらも生き抜くー
還暦を超えてなお踊り続ける森下洋子が、松山バレエ団に入団した契機となった作品でもあります。
魂をゆさぶる喜児の生きざまをバレエの世界で表現したこの作品は、人間の強さ、美しさを感じさせます。この世界にあふれる美の中でも、もっとも尊い美しさ。欧州中心のバレエ文化の幅を広げた一作が、清水哲太郎の演出でさらに新しく、ドラマチックに展開します。