少し前になりますが、フジテレビの「オデッサの階段」という番組でコンテンポラリーダンサーで振り付け家の平山素子さんを扱っていました。
この番組は少し異色な構成で、対象となる人や物の周辺を掘り起こしていくことで、輪郭をくっきり浮き立たせるというもの。視聴者に、主体的にストーリーを頭の中で作っていくよう促していると言えるかもしれません。
平山さんというと、今年は振り付け作品が新国立の「dance to the future」で4月に上演されるなど、今が旬の人。
エキサイティングで、動物的なようで計算し尽くされたー平山作品にはそういうイメージがあります。
この番組では「現象」という言葉がキーワードのひとつでした。
ダンスという肉体の現象を通して、存在の実像に迫っていくーこれは私なりの解釈ですが、そう捉えました。
今朝の新聞に松山バレエ団が被災地への鎮魂の祈りを演出に込めた「くるみ割り人形」を上演する、という記事が載っていました。
記事などによると、クリスマスパーティーの部分で、亡くなった愛する人に似せた人形を持ち寄るよう呼びかけるシーンなどが盛り込まれるということ。
このシーンだけ考えてみても、人形という小物は鎮魂のイメージにふさわしいように思います。
古典作品にあまりに時代を大きく取り入れると、ギャップを感じ、別の作品として見たい気になることもありますが、くるみ割り人形」オリジナルの愛らしさ、明るさを大きく変えることのないアレンジになっているのではないか、という気がします。
被災地から心を離さずにいたいという、演出家のメッセージと感じました。
12月の新国立は15-24日まで「シンデレラ」です。
この欄でも触れたように、少し前からチューリッヒバレエ団のシュペルリ版を何度かDVDで見ていたので、ペローの原作により近いアシュトン版にはちょっとした安心感があります。
シンデレラがみすぼらしい老婆に親切にしたことによって、実は仙女であって老婆がお礼に魔法をかけてくれるーというある種の「必然性」も腑に落ちる要因かもしれません。
ホームページにあるPR用の動画を見ましたが、シンデレラというのは、小柄で清楚な日本人のイメージに合うキャラクターのように思います。
貧しい召使いのような衣服に身を包んでいても、何か輝くものを秘めている様子が、思い描くシンデレラ像に一致します。
ガラスの馬車や舞踏会は、雪と氷のイメージと重なり、クリスマスシーズンにぴったりの作品だというのも頷けます。
ところでアシュトン版は初演から義理の姉を男性ダンサーが演じていたと言います。男性が思いきりコミカルに演じる方が、陰湿になりすぎなくてよいように思います。そういえばビントレー監督も、かつては義姉を演じたのでした。